2012年3月30日金曜日

温泉旅行に行ってきました。

3月28日から1泊2日で彼女と温泉旅行に行ってきました。
場所は青森県十和田市の十和田湖・奥入瀬渓流周辺です。

まずは旅館の外観から。「野の花 焼山荘」


旅館のロビー部分。




 創作郷土料理と、青森県産牛霜降り肉のすき焼き。




貸切露天風呂。



 旅館は全体的にこじんまりとしていて、全館畳敷きでした。夕飯は、創作郷土料理と青森県産牛のすき焼き。このすき焼きがとにかくおいしかったです!また平日限定で、離れの露天風呂を貸し切ることができ、その露天風呂に行くまでの廊下も灯りがきれいでした。平日で宿泊客は少なめかなぁと思いましたがそんなことはなく、家族連れから中年夫婦まで、結構な数の宿泊客がいたように思いました。最初に触れたとおり、そこまで大きくないので、温泉や食事を楽しんでゆっくり休みたい人には最適の旅館だと思います。


本当にゆっくりできました。

2012年3月27日火曜日

これからの15年が自分の人生を決める。

3月23日に大学の卒業式がありました。式は、学位授与・学長式辞・卒業生代表式辞・来賓祝辞・記念奏楽など約1時間30分程度の式でした。

その式の話を少し。

来賓祝辞でお話をしてくださったのが、卒業生で今は同窓連合会会長の方でした。その方がおっしゃっていたなかで、心に残っている部分を紹介します。(一字一句すべて覚えているわけではないので多少表現が変わっているかもしれません。)

「今は、皆さんも知っている通り情報を得る手段が溢れています。例えば、携帯やパソコンで調べればすぐに情報にアクセスすることができます。しかしいくらそのような技術が発達しようとも一番信頼できる情報は、自分の足で現地に行き、見て聞いて獲得した情報です。そしてもう1つ信頼できる情報が、皆さんの信頼できる仲間・友人・知人があなたのためを思って提供してくれた情報です。そういう重要な情報を提供してくれるような、信頼できる仲間・友人・知人をこれからたくさん作っていってください。会社が違う・業界が違うということは関係ありません。あなたが本当に信頼できる仲間を多く作ってください。」

「これからの15年間が、その先の生き方・人生を決めてしまいます。これからの15年間に多くの経験を積んでください。経験とはすなわち能力です。どのような経験でもかまいません。とにかく経験を積むこと。それが皆さんの能力につながります。」

これから自分たちはそれぞれの道を歩みます。大企業に就職する人、中小企業に就職する人、ベンチャーに就職する人、起業する人、もう一度就職活動をするために就職浪人をする人、海外で就職活動を行う人、国内大学院に進学する人、海外大学院に進学する人。おそらくそれぞれの道にそれぞれの困難が待っていることだろうと思います。

進む道は違えど、そこで得た経験が今後の自分の人生にプラスになるように、プラスにできるように懸命に生きていこうと思いました。

最後に、自分が高校生の頃読んだ何かの本に書かれてあった文章を。

「これから先生きていれば、自分が積み上げてきたものが、音を立てて崩れたり誰かに壊されたりすることがあるだろう。そうしたらまた最初から積み上げればいい。今までと同じようにこつこつと。そして今度は壊れないように、しっかりと気持ちを込めて。」

2012年3月14日水曜日

ロンドンオリンピック出場決定!

サッカー男子日本代表(U-23)が、ロンドンオリンピック出場を決めました。なでしこに続き、男女サッカーそれぞれがオリンピックに出場することになります。

自分は今年の6月くらいからイギリスに留学に行く予定なので、ロンドンオリンピックの雰囲気は少しは感じられるかなと思います。できればサッカー男子の試合は見たいですが、お金がないので見れるかどうか(笑)

今のオリンピック代表は、U-20世界大会の出場を逃しています。自分はサッカーを見るのが好きなので、その世界大会を逃した時にGK権田が涙ながらに悔しさを語っていたのを今も鮮明に覚えています。その悔しさをばねに、オリンピックの出場を決めた選手たち。おそらく、ロンドン五輪が終わった後のブラジルワールドカップでは、五輪代表の選手の何人かが主力として出場すると思います。それほど魅力的で、これからどんどん伸びるだろうなという選手がたくさんいるように思いました。

それにしても日本のサッカーは本当に強くなったと思います。長友はあの有名なインテルミラノでレギュラーを確保し、ホンダはCSKAモスクワに所属しレアルやナポリが獲得しようと動いていたと言われています。香川、長谷部、岡崎、内田、細貝はドイツで、吉田、ハーフナー、カレン、安田はオランダで活躍するなど、数多くの日本人が海外サッカーリーグで活躍しています。ロンドン五輪代表の大津もボルシアMGで活躍し、酒井はサントスから獲得のオファーがあったと言います。

自分が小学生だった頃のフランスワールドカップでは出場しただけでお祭り騒ぎでしたが、たぶん次のワールドカップではベスト8以上が求められると思うし、それを達成できるだけの力はあると思います。
もっと書こうと思えば書けますが、たぶん終わらなくなってしまうと思います(笑)
今はとりあえず、日本代表のロンドンオリンピックでの活躍を祈っています。

2012年3月11日日曜日

東日本大震災から1年。

東日本大震災から1年がたちました。

あの日から、もう一年たったとは信じられません。震災当日、自分は企業の説明会に行っていて、高層ビルの中で14時46分を迎えました。あの当時のことは今でも鮮明に思い出すことができます。その説明会は中止になり帰宅するよう指示が出ましたが、都内の交通機関のほとんどがマヒしており、最寄りの駅で一晩過ごすしかありませんでした。ありがたいことに、その駅の飲食店が、店を開放し軽食も準備してくれたおかげで何とか過ごすことができました。繋がらない電話、届かないメール、そしてテレビに映る地獄絵図のような映像に、青森県八戸市に住む家族はもうダメなのではないかと何回も何回も思ったのを憶えています。幸いにも、翌日に家族と連絡が取れ無事を確認することができましたが、実家で暮らしていたとき何度も遊びに行った港がかなりの被害を受けたのはショックでした。

今の日本は、まだまだ課題が山積みです。復興は遅々として進んでいません。政府も明確なリーダーシップを発揮できていません。そして、まだ震災前の暮らしに戻れない人が大勢います。たぶん「復興」というものは、今後何年もかけて成し遂げられるものなのだろうと思います。そして、この復興を成し遂げるには、我々若者の力が必要です。というより、我々が中心になるべきだと思います。我々に何ができるのか、それを常に頭において行動していこうと思います。

あの日を境に、被災者はもちろん、その他の人々の暮らし方・働き方も大きく変わりつつあると言われています。自分もあの震災があって、「死」というものがリアルに感じられるようになり、自分のやりたいことをやろうというように踏ん切りがつきました。日本を、そして日本国民を大きく変えつつあるのが、この大震災ではないのでしょうか。

最後に、今日の読売新聞の一面を紹介したいと思います。


「時は流れない。雪のように降り積もる。人は優しくなったか。賢くなったか。」



使い慣れた言い回しにも嘘うそがある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる
◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである
◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海こんまなみちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい
◆口にするのも文字にするのも、気の滅入めいる言葉がある。「絆」である。その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる…(『ダンシング・オールナイト』)。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る
◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。政権与党内では「造反カードの切りどきは…」といった政略談議が音量を増している。予算の財源を手当てする法案には成立のめどが立っていない。肝心かなめの立法府が違法状態の“脱法府”に転じたと聞くに及んでは、悪い夢をみているようでもある。総じて神経の丈夫な人々の暮らす永田町にしても、歳月の問いに「はい」と胸を張って答えられる人は少数だろう
◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。―2012年3月11日付 編集手帳

これを見て、何を思うでしょうか。


東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げ、そして被災された皆様、その家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

2012年3月10日土曜日

引っ越しまであと10日!

4年間住んでいた部屋をあと10日で解約します。
解約した後は、友人や弟の家を転々として卒業式に出席する予定です。その後は、実家に少しの間滞在して、イギリスに向かう予定です!


この部屋は、最寄り駅と大学のほぼ中間にあるアパートだったので快適でした。


4年前は、まさか自分が海外の大学院に進学するなんて思ってもみなかった。普通に就活して、普通に就職するものだと思っていました。人生の転機といってもいい4年間をこの部屋で過ごしてきたのかと思うと、ちょっと感動しますね。



就活といえば、自分は去年大学院の出願準備と並行していわゆる就活を行っていました。スケジュール的にきつかったですが、今は去年就活して本当によかったと思っています。
就活がどんなものなのか体感することができたし、ある程度の手応えも得ることができたからです。なにより、これからまた就職活動する時に前回の経験を生かせるという面が一番大きいと思います。でも、きつかったな~!



それにしても、引っ越しの準備・荷造りはなんかくるものがありますね~。寂しさとも違うし、4年間の達成感ともまた違う。なんと言ったらいいかわからない感情です。
今はいらないものを捨てている段階なので家具もそのまま配置されていて、ダンボール詰めもまだしていません。これが引っ越しの前日とか直後に、ダンボールのみの部屋や何もなくなった部屋を見たら、もっと思うことがあると思います。


立つ鳥跡を濁さず引っ越し準備をきちんと進めながら、残りの大学生生活楽しみます!

2012年3月8日木曜日

卒業旅行・5、6、7日目!

5日目
9:00
起床
10:00
民宿を出る。午前中いっぱいお土産などを物色。
13:30
フェリーに乗って、屋久島から鹿児島港へ。


18:00
鹿児島港から、友人の実家がある広島に移動。
翌1:00
広島に到着。泊めさせてもらう。

6日目です!この日は、宮島&原爆ドームに行きました。
12:00
友人宅を出発し、宮島へ!
13:00~
宮島に到着し、ぶらぶら散策。

街並みがとてもきれいでした。

厳島神社

厳島神社の大鳥居


牡蠣づくし定食!この旅一番の旨さでした!

17:30
フェリーに乗って宮島から出て、原爆ドームへ。

すでに日が落ちていましたが、ぐるっと見ることができました。

20:00~22:00すぎ
友人の実家で、休憩させてもらう。

7日目
前22:30~
友人の実家を後にして、大学へ。
10:00
大学に到着、解散。

5、6、7日はかなり駆け足で振り返りましたが、とても充実した旅になりました。

友人のほとんどは、4月から社会人。いい思い出を作ることができて良かったです。

2012年3月7日水曜日

卒業旅行・4日目!

4日目はついに縄文杉にアタックです!

3:30~4:00
起床。車に乗り込み、登山口へ。
5:00すぎ
登山のスタート地点となる白谷広場に到着。
5:30
トイレなどを済ませ、登山開始!
11:00前
縄文杉に到着。
14:30
太鼓岩に到着。長めの休憩をとる。
17:00
白谷広場に到着。下山完了。

縄文杉を見に行くには2つのルートがあります。荒川登山口というところからスタートして前半は比較的楽なトロッコ道を通り、そして後半は山道を登り、ひたすら縄文杉だけを目指すルートと、白谷広場をスタート地点にして白谷雲水峡を通り、その後トロッコ道と合流し、縄文杉を目指すルート。ここで注意したいのがトロッコ道は楽ですが、トロッコ道を抜けると縄文杉までは険しい山道が続きます。

僕たちは登山日程も一日しか取れなかったので、別名もののけの森と呼ばれる「苔むす森」も通れる白谷雲水峡からのルートで行くことにしました。このルートが鬼でした。(笑)
川は前日からの豪雨で増水しているし、前半に峠を一つ越えるルートなので、道が本当に険しかった。縄文杉までの行きのルートは暗闇と雨、そして険しさで、軽く泣きが入りました。

その険しい道を通り、ついにたどり着いた縄文杉は圧巻でした!霧が出ていたこともあって、幻想的でした。その他にも、太鼓岩や、苔むす森もとてもきれいでした。文章だけだと分かりにくいと思うので、どうぞ写真をご覧ください。

「縄文杉」


「太鼓岩」


「苔むす森」(もののけの森)



「登山道(山道、トロッコ道)」




250枚くらい写真を撮りました。ちなみにここにあげた登山道は比較的楽な道です。本当に厳しいところは写真を撮る余裕すらなかったので(笑)

本当に厳しい体験でしたが、縄文杉や太鼓岩にたどり着いた時の達成感は、何とも言えないものがありました。あと、驚いたのは、女性グループやお年を召したグループが比較的多かったこと。みんな元気に縄文杉で記念写真を撮っていました。なので、体力にそこまで自信が無い人でも、時間をかければ登れると思います。皆さんも是非挑戦してみてください!

次回は、5日目・6日目・7日目を書きたいと思います!

卒業旅行・3日目!

3日目です!

8:30
どんよりした天気の中フェリーに乗り込み、いよいよ屋久島へ。
12:30
豪雨の屋久島に到着。
事前に手配していたレンタカーで移動。宿に荷物を置いて、昼食をとりに行く。
13:30?14:00?
宿の近くにある有名な店、「潮騒」で昼食。


海老フライ定食・お造り付を注文。観光地なので少々お高めでしたが、絶品でした!

15:30
レンタルショップへ。翌日の登山に備えて、レインウェアやトレッキングシューズ、ヘッドライトなどをレンタル。その他、弁当など翌日の食事の準備・手配。

18:30ごろ
宿の近くにあるもう一つの有名店「漁火」で夕食をとる。


トビウオの唐揚げ定食を注文。名物のようだったので頼みましたが、そこまでおいしくはなかった気が・・・

22:00
翌日に備え、就寝。

屋久島に到着した3日目でしたが、あいにくの天気(豪雨)と時間の無さで観光らしいことはできませんでした。

いよいよ4日目は、縄文杉へアタック!

こうしてみると、食べ物の写真ばっかりだなぁw

卒業旅行・2日目!

前回の記事に続いて、旅行2日目を振り返ります。

6:00
広島の友人の実家を出発して、ひとまず福岡を目指す。
9:00
関門海峡にさしかかる。


太陽の光が水面に反射して、とてもきれいでした。

9:30
関門橋を通り、福岡へ。
11:00
福岡に到着。昼食は、福岡で有名な大砲ラーメン本店で久留米ラーメンを。


濃厚なスープでしたがまったくしつこくなく、とてもおいしかったです。

12:00
大砲ラーメンを出発して、鹿児島へ。
15:00
桜島を眺めながら足湯できる道の駅に到着。長めの休憩をとる。


15:30
道の駅を出発。本土最南端の佐多岬へ。
17:45
佐多岬展望台入口に到着。17時で入口が閉鎖されてしまっていたため、歩いて佐多岬展望台へ。
18:15
佐多岬展望台到着。ぎりぎり日没に間に合う。が、曇りだったためきれいな夕焼けは見れず。


19:30
佐多岬を出発。鹿児島港へ。
21:00すぎ
鹿児島港到着。ホテルにチェックイン。

こう書いてみると、関門海峡、久留米ラーメン、桜島、佐多岬と観光要素がたくさん詰まった2日目だったように思います。驚いたのは、佐多岬にサルがたくさんいたこと!急に飛び出してきて、残念ながら1匹轢いてしまいました。イノシシもいました。

次は3日目。いよいよ屋久島に到着します。

2012年3月6日火曜日

卒業旅行・1日目!

2月26日から3月3日まで、親しい友人6人と卒業旅行に行ってきました。

屋久島の縄文杉を見に行くために、埼玉から屋久島までを車で往復するという弾丸旅行でした。
その一日目を自分自身の記録のためにも、振り返ってみたいと思います。

2月26日5:00
大学を出発。ひつまぶしを求めて、名古屋へ。
11:00
名古屋に到着。お勧めのひつまぶしの店に行くも定休日。仕方なく違う店に行くが激こみ。1時間程待ってから入店。


待った甲斐もあって、このひつまぶしは絶品でした。あ~、もう一回食べたい。

14:30
名古屋を発って、広島へ。
20:30
広島着。近くのラーメン屋で食事を済ませ、広島にある友人の実家に泊めさせてもらう。

ざっと一日目はこんな感じです。なんといっても、名古屋のひつまぶし。生まれて初めて食べましたが、うな重とも違い、何とも言えないうまさでした。
食事休憩など含め、合計15時間程度の移動でしたが友人と一緒のせいかまったく苦にはなりませんでした。

次は2日目。いよいよ本州を抜け九州に突入です。