2012年3月11日日曜日

東日本大震災から1年。

東日本大震災から1年がたちました。

あの日から、もう一年たったとは信じられません。震災当日、自分は企業の説明会に行っていて、高層ビルの中で14時46分を迎えました。あの当時のことは今でも鮮明に思い出すことができます。その説明会は中止になり帰宅するよう指示が出ましたが、都内の交通機関のほとんどがマヒしており、最寄りの駅で一晩過ごすしかありませんでした。ありがたいことに、その駅の飲食店が、店を開放し軽食も準備してくれたおかげで何とか過ごすことができました。繋がらない電話、届かないメール、そしてテレビに映る地獄絵図のような映像に、青森県八戸市に住む家族はもうダメなのではないかと何回も何回も思ったのを憶えています。幸いにも、翌日に家族と連絡が取れ無事を確認することができましたが、実家で暮らしていたとき何度も遊びに行った港がかなりの被害を受けたのはショックでした。

今の日本は、まだまだ課題が山積みです。復興は遅々として進んでいません。政府も明確なリーダーシップを発揮できていません。そして、まだ震災前の暮らしに戻れない人が大勢います。たぶん「復興」というものは、今後何年もかけて成し遂げられるものなのだろうと思います。そして、この復興を成し遂げるには、我々若者の力が必要です。というより、我々が中心になるべきだと思います。我々に何ができるのか、それを常に頭において行動していこうと思います。

あの日を境に、被災者はもちろん、その他の人々の暮らし方・働き方も大きく変わりつつあると言われています。自分もあの震災があって、「死」というものがリアルに感じられるようになり、自分のやりたいことをやろうというように踏ん切りがつきました。日本を、そして日本国民を大きく変えつつあるのが、この大震災ではないのでしょうか。

最後に、今日の読売新聞の一面を紹介したいと思います。


「時は流れない。雪のように降り積もる。人は優しくなったか。賢くなったか。」



使い慣れた言い回しにも嘘うそがある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる
◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである
◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海こんまなみちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい
◆口にするのも文字にするのも、気の滅入めいる言葉がある。「絆」である。その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる…(『ダンシング・オールナイト』)。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る
◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。政権与党内では「造反カードの切りどきは…」といった政略談議が音量を増している。予算の財源を手当てする法案には成立のめどが立っていない。肝心かなめの立法府が違法状態の“脱法府”に転じたと聞くに及んでは、悪い夢をみているようでもある。総じて神経の丈夫な人々の暮らす永田町にしても、歳月の問いに「はい」と胸を張って答えられる人は少数だろう
◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。―2012年3月11日付 編集手帳

これを見て、何を思うでしょうか。


東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げ、そして被災された皆様、その家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

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